Frohe Weihnachten(フローエ ヴァイナハテン)~聖なる夜に
大きなクリスマスツリーが飾られた部屋では、暖炉の火が赤々と燃えている。
窓から、雪化粧をしたシュヴァルツブルクの王城が、夕陽の残り火に照らされて輝いているのが見えた。
外は、一面の銀世界だ。
少し緊張した面持ちで、継太はテーブルセッティングがされた部屋の中を歩いた。
着用している銀色のロングタキシードがあまり似合っていない気がして、部屋に備え付けられた鏡を何度も覗き込んでしまう。
どうにも服に着られている気がしてならないのだが、気のせいだろうか?
「何をしているんだ」
鏡に近付いたり離れたり、くるりと回ったりして自分の姿を確認していた継太は、背後から聞こえた声に飛び上がるようにして振り向いた。
継太と似たような色合いのロングタキシードを着たコンラートが、部屋の入り口に立ち、目を細めて継太を見つめていた。
さすがに、着慣れているだけある。
コンラートのロングタキシード姿は、はっとするほどさまになっていて、継太は恥ずかしいところを見られたことも忘れ、じっとその姿に見入った。
シュヴァルツブルク王国に来て、紆余曲折の末にコンラート王子の恋人となった継太だったが、未だにこれは夢なのではないかと思う瞬間がある。
無理矢理身体を開かされていた頃には、今コンラートとこうしている未来など、欠片も想像できなかった。
恋人になってからも、相手が一国の王子だったこともあり、いつこの関係が終わっても仕方がないと自分に言い聞かせてきた。だが、あれからもう一年だ。
一年前のクリスマスに確かめ合った想いは、今も色あせることなく続いている。
ぼうっと見とれていると、コンラートは意地悪な笑みを浮かべ、継太の傍に来た。
「何を考えている?」
そう囁いて継太の手を取り、腰に手を回して、まるでダンスをするかのようなポジションを作る。
継太は羞恥に頬を染め、コンラートを上目遣いに見上げた。
「……す、素敵だなって、思ってたんです。分かってるのに聞かないでください」
継太の思考などお見通しのくせに、素直に口を割らなければ、面白がっていつまでも継太にその一言を言わせようとするに決まっている。
普段通りのコンラートに、夢から醒めたような気持ちになり、継太は唇を尖らせてそう告げた。
素直な答えが気に入ったのか、コンラートは満足そうな顔をして、継太の頬を撫でる。いつにない甘い仕草に何となく照れくさくなって、継太は視線を足下に落とした。
「……僕、こういう衣装、似合いませんね」
「それもまた、可愛いがな」
否定せず、笑いをかみ殺しながら、コンラートはチークのようにゆったりとステップを踏み始めた。
そこはお世辞でも似合うと言って欲しかったと、内心がっかりしながら、継太はコンラートの肩に頭を預けた。
音楽もない、静かな部屋で、コンラートにリードされるままにダンスに興じる。
甘くて少しスパイシーなコンラートの香りに包まれてうっとりと目を閉じると、コンラートがそっと腰を抱く手に力を込めてきた。
しばらくそうしているうちに、継太は幸せで胸が一杯になった。
この人が好きだ。
相変わらず意地悪で俺様だが、そんな彼が自分にだけ見せてくれるようになった優しさや甘やかな態度に、継太はもうずっと、捕らわれ続けている。
こうして抱き締められる度、コンラートと共に生きていきたい、離れたくないという、狂おしいほどの熱に襲われる。
顔を上げて、熱に潤んだ眼差しでコンラートを見つめると、コンラートは少しだけ困った顔をして、継太の唇に軽いキスを落とした。
「ディナーの前にお前を食べたくなるから、そういう顔をするな」
ストレートにそんなことを言われて、継太は頬を染めた。
それでもいい、と大胆な気持ちがわき上がってくる。
「……ここで食べられても、いいです」
思い切って言うと、コンラートは一瞬固まり、それから「だめだ」と首を振った。
「……どうして?」
以前なら、所構わず抱いたくせに。自分にはもう、そんな魅力がないのだろうか。
何だか悲しくなって項垂れていると、コンラートは継太の顎に手をかけて顔を上向かせ、ひどく優しい口づけをくれた。
啄むだけのそれに、鼓動がうるさいくらい高鳴り始める。
「クリスマスディナーは、家族と過ごす特別な時間だ。だから、今はしない」
唇を離したコンラートが、静かにそう言って継太の目を覗き込んでくる。
「……でも」
継太は戸惑いながら、用意されたテーブルの上を見た。
蝋燭の炎が揺らめくテーブルには、二人分のカトラリーしかない。
しばらくテーブルの上を見つめ、それからようやくそれの意味することに気付いて、継太はコンラートを振り仰いだ。
「家族って、僕ですか……?」
ぼう然としながら呟くと、コンラートは苦笑した。
「他に誰がいる?」
そう聞きながらコンラートは腕を解き、継太の左手をすくい上げると、薬指の付け根にそっと口づけを落とした。
思ってもみなかったことに、目頭がふわりと熱くなり、鼻の奥がツンとする。
実母を亡くし、相馬の家でも寄る辺ない存在だった自分が一番欲していたものを、コンラートはくれようとしているのだ。
嬉しくて、心が震えた。
だが、一方で、それを受け入れていいのだろうかという思いがこみ上げてくる。
恋人ではなく、「家族」というのは、今までの関係を一歩進めようということだ。
結婚はできなくとも、もっと近い位置に自分を置くということなのだ。
「……で、でも、やっぱり、そんな大切なこと、簡単に口にしたらダメだと思います」
幸せすぎるのが怖くて、継太は俯き、自分に言い聞かせるようにそう告げた。
コンラートは王子だ。
いずれは結婚して血を繋いでいく義務があると、彼の兄のアルブレヒトも言っていたではないか。
以前の婚約者とは婚約を解消してくれたが、いつまた同じ問題が起こらないとも限らない。
「簡単に決めたつもりはない。一年という時間は、この決断をするのに、十分な時間だったと思っている」
「……まだ、たった一年です」
コンラートの腕に飛び込んでしまいたい衝動を抑え、継太は首を振った。
「では、何年経てば、お前は納得する?」
そう聞かれても、継太には答えられなかった。
きっと、不安は常につきまとうだろう。何年経っても、いつか関係が終わるのではないかという恐怖はぬぐい去れないに違いない。
黙っていると、コンラートは継太の両手の指先を、愛おしむようになぞった。
「言っただろう。お前は私のものだ。もう、どこにもやるつもりはない」
きっぱりとそう言い放たれて、継太はくしゃりと顔を歪めた。
「お前の望みは、何だって叶えてやる。だが、傍を離れることだけは許さない。いいな?」
人に命令することに慣れた、傲慢な物言い。だが、継太にとって、それはちっとも嫌ではなかった。むしろ、束縛されているような気がしてうれしい。
「お前のために、苺のショートケーキも用意した。日本では、クリスマスに恋人や家族とショートケーキを食べる風習があるんだろう?」
柔らかな声でそう言われた瞬間、継太は我慢出来なくなってコンラートに飛びついていた。
一年前、シュヴァルツブルクではクリスマスにケーキを食べる習慣がないと聞いてがっかりしていた時のことを、覚えていてくれたのだ。
覚えていて、今年は一緒に食べようと言ってくれているのだ。恋人として。家族として。
「コンラート様……。好きです。大好き……」
泣きながら、絞り出すような声で、継太は言った。
他にも色々言いたいことはあるはずなのに、上手く言葉にできそうにない。
ぎゅうぎゅうと広い胸にしがみついていると、コンラートが継太をしっかり抱き留めて、笑う気配がした。
「嬉しいなら、泣き止んで、笑顔を見せろ」
囁かれた声に、継太はおずおずと涙に濡れた顔を上げる。
コンラートは優しい笑みを浮かべて、継太を見つめていた。
自然に、継太の顔にも笑顔が浮かぶ。
顔を見合わせて笑い合いながら、継太はコンラートと出会えてよかったと心から思った。
意地悪で、傲慢で、自分勝手な王子様だけれども、継太のことをこんなに大切にしてくれる人は、他にはいない。
まだまだ、自分たちの関係は完璧とは言いがたい。
男同士であることや、コンラートには立場があるということで、この先何度も、悲しい思いやつらい思いをするかもしれない。
でも、叶うならこの先も、死が二人を分かつまで、コンラートと愛を育んでいきたいと継太は思った。
コンラートも、きっと、同じ気持ちでいてくれるはずだ。
そう願いながら、継太は伸び上がり、想いを込めて、コンラートの唇にそっとキスをした。
「メリークリスマス」
継太のキスを受け止めて、コンラートがそう囁く。
「メリークリスマス」
囁き返して見つめ合っていると、遠慮がちに「殿下」と声がかかった。
「そろそろ、料理をお出ししても?」
淡々としたダニエルの声に、継太は赤面し、ぱっとコンラートから離れようとした。だが、コンラートは継太の腰に手を回し、次の瞬間耳たぶを軽く食んだ。
「もちろん、ディナーの後は恋人の時間だ。朝まで可愛がってやるからな?」
そう耳元で告げ、継太からするりと腕を解くと、艶やかな笑みを浮かべてみせる。
そうして、何食わぬ顔で、継太の座る椅子を引いた。
継太は嬉しいのか恥ずかしいのか分からなくなり、おかしな顔をしながら席に着いた。
ダニエルが注ぐシャンパン越しに、笑いをかみ殺すコンラートをじっとりと睨み付ける。
そうしながら、今夜は甘い夜になるだろうと、継太は密かに胸を高鳴らせた。
(おわり)
『王子と野ばら』が気になった方はこちら。
(2016/1/10)