Valentinstag Schokolade(バレンティンスターク ショコラーデ)
冷たい手のひらが頬に触れて、相馬継太は目を覚ました。公務で帰りの遅いコンラートを待っているうちに、どうやらソファーでうたた寝してしまっていたらしい。目を擦りながら顔を上げると、まだ帰ってきたばかりなのか、コートを着たままのコンラートがすぐ傍に座っていた。
「おかえりなさい」
身体を起こし、ふわりと笑みを浮かべる。
「ただいま」
コンラートは柔らかな声でそう言って、挨拶のような軽いキスをくれた。
継太がシュヴァルツブルク王国・第二王子のコンラートの恋人になったのは、二ヶ月ほど前のことだ。継太の兄である俐人が嘘をついたせいで、最初は「乱暴にされるのが好きな淫乱」と思われ、今思い出しても悲しくなるような仕打ちを受けた。
あんなに酷いことをされて、コンラートのことが怖くてたまらなかったのに、今では傍にいないと不安になるのだから、人の気持ちとは分からないものだ。
継太はそんなことを思いながら、頬を染めて、キスされた唇に手を当てた。
気持ちを確かめ合ったのは二月も前の事なのに、未だにコンラートの恋人という立場には慣れない。
恥ずかしくて俯いていると、コンラートがふっと笑う気配がした。
面白がられていることに気付いて、継太はまた赤くなる。
「こんなところで寝たら風邪を引くぞ」
コンラートは継太の顔が赤くなっていることには触れずに、肩からずり落ちていたブランケットを掴み、それで身体をくるむように包んでくれた。
相変わらずの過保護ぶりだ。継太がしょちゅう熱を出したり風邪を引いたりするので、仕方がないといえば、仕方がないのだが。
外は相当寒いのか、コンラートのコートや触れた指先は、氷のように冷たい。
「コンラート様こそ、こんなに冷えて……。風邪を引きます。はやく着替えて暖まってください」
そう言いながらコートの袖口を引っ張ると、コンラートは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そうだな。だが、冷え切ってしまったのか、身体が動かない。だから、継太が着替えさせてくれ」
「……え?」
戸惑ってコンラートを見つめると、とても身体が動かないとは思えない素早さで、手を取られた。
そして、コートの前に手を導かれる。
それの意図することを感じ取って、継太は狼狽えた。
着替えを手伝うくらい、どうということはないとは思うのだが、コンラートは意地悪するのが趣味のような王子様だ。とても、着替えを手伝うだけで済むとは思えなかった。
唇を軽くかんで睨み上げても、コンラートは意地悪な笑みのまま、黙っているばかりだ。
継太は仕方なく、おずおずとコートのボタンに手をかけた。ひとつひとつゆっくりとそれを外し、コートを脱がせる。
促されるまま、ネクタイを外し、スーツのジャケットを脱がせたところで、継太は手を止めた。
どこまで脱がせればいいのだろうか。……まさか、全部?
手を止めたままぐるぐる考えていると、コンラートが継太の頭を抱き寄せ、こめかみにキスを落としてきた。
「いつまでたっても初心だな。たまには、私に跨がってみようとは思わないのか?」
「そっ、そんなこと、できません……」
耳まで赤くして首を振ると、コンラートは面白くなさそうにふんと鼻を鳴らした。
それから、立ちあがってウォークインクローゼットの中に入って行ってしまう。
ソファーに一人取り残されて、継太は肩を落とした。
コンラートを、怒らせてしまっただろうか。いや、がっかりさせたのかもしれない。
確かに、自分に積極性が足りないのは嫌というほど分かっていた。
本当の意味で積極的に自分からコンラートを欲しがったのは、クリスマスマーケットで間違えてアルコールを口にし、酔っ払ってしまったあの夜くらいだろうか。
あとはコンラートにされるがままで、自分から動くことなどほとんどなかったと思う。
そのことに、コンラートが少し不満を抱いていることは知っている。
恋人になったのだから、継太からも求めて欲しいと、コンラートはそう思っているのだ。
だが、性格がそう簡単に変えられるわけもない。自分から誘ってみようと思っても、いつも恥ずかしさが先に立ってしまい、継太は何もできないままだった。
コンラートの兄、アルブレヒトから聞いた話によると、コンラートが以前身体の関係を持っていた相手は、女性も男性も肉食系だったらしい。
だったら尚更頑張らないと飽きられてしまうと思うのだが、そうはいっても、なかなか行動には移せない。
ウォークインクローゼットにコンラートを追っていこうか、それともここで服を脱いで待っていた方がいいのかと、継太はソファーの上で考えた。
しかし、決心がつくよりも早く、クローゼットのドアが開く音が聞こえてくる。
せめて謝らなければと顔を上げた継太は、次の瞬間、ぽかんと口を開けてしまった。
コンラートが、赤い薔薇の花束と、リボンをつけた箱を抱えていたのだ。
ソファーに戻って来たコンラートは、戸惑いを隠せずにいる継太を面白そうに見て、薔薇の花束を差し出してきた。
思わず受け取ると、薔薇のいい香りがふわりと辺りに漂う。
「お前には野に咲く白い薔薇の方が合っているとは思ったが、生憎、今のシーズンは取り扱っていないそうだ」
「……あの、これ、僕にですか?」
「薔薇の花を渡す相手が、他にどこにいる」
笑いながら、コンラートは一緒に持っていた黒い箱を膝に置き、リボンを解いた。
開けられた箱を覗き込んで、継太は思わず「わあ」と弾んだ声を上げる。
「チョコレート!」
「好きか?」
「はい!」
素直に頷くと、満足そうな顔になったコンラートに、腰を抱き寄せられる。
「これも、お前へのプレゼントだ」
それを聞いて、継太は目を瞬かせた。
「あ、ありがとう、ございます……。でも、どうして?」
今日は何か特別な日だったろうかと首を傾げる。
それから、継太はあっと声を上げた。
今日は二月十四日だ。
自分にはあまり縁のないことではあったが、相馬家にいたときに、毎年この日は使用人の女性達が男性陣にチョコレートをプレゼントしていた。
たまに、気まぐれに継太にもチョコレートをくれる人がいて、あまりお菓子にありつけなかった継太にとっては、クリスマスの次に楽しみな日でもあった。
「でも、バレンタインデーは、女性から男性へチョコレートをプレゼントする日じゃないんですか?」
相馬家でのことを思い出しながら、継太は単純に、頭に浮かんだ疑問を口にした。
「それは日本の風習だろう? ヨーロッパでは逆だな。シュヴァルツブルクでも、バレンタインデーは男が恋人にプレゼントを贈るのが一般的だ」
「そうなんですか……」
自分も男なのだが、そういう場合は普通どうするのだろう。もしかして、お互いにプレゼントを交換し合うのだろうか。
「……すみません、僕、今日がバレンタインデーだって、すっかり忘れてて、何もプレゼント用意していないんです」
どうして自分はこういうことに気が回らないんだろう。
自分の至らなさにしゅんとしていると、コンラートは何故か機嫌良く「構わない」と答えた。
「プレゼントはこれからもらうつもりだからな」
そう言って、コンラートは箱の中からチョコレートを一つ摘まみ、継太の口元に持ってきた。
食べろという無言の催促に、継太はおずおずと口を開く。
どきどきしながら口の中に押し込まれたチョコレートをかみ砕いた瞬間、予想外のことが起きて、継太は固まった。
甘いチョコレートの中から、かなり強烈な味の、とろりとした液体が溢れ出たのだ。
以前飲んだ甘い味のワインとは違う、喉を焼くような強いアルコールに驚いて、思わずチョコレートを吐き出そうとする。しかし、それよりも早くコンラートの手がうなじに回り、顔を引き寄せられてしまった。
強引にキスされて、行き場のなくなったアルコールを飲み込むしかなくなる。
「これ、お酒……?」
コンラートの唇が離れると、継太は小さく咳き込んで、抗議の声を上げた。
クリスマスマーケットでの失敗から、もう二度とお酒は飲まないと決めて、ずっと避けてきたのに。
チョコレートの中にお酒が入っているなんて、思ってもみなかった。
涙目で睨むが、コンラートは満足そうに笑っている。
もう一つ差し出されたチョコレートを、首を振って拒むと、コンラートはそれを自らの口に放り込み、がりっとかんだ。
そうしておいて、コンラートは再び継太に口づけをしてくる。
コンラートの舌と共に、アルコールの苦みと、チョコレートの甘みが口の中に入ってきた。
必死でそれらを飲み下し、はふっと息をつく。
普通の人にとっては酔うほどではない量のアルコールでも、かなりお酒に弱い継太には、十分だ。すぐに身体がぽかぽかとしてきて、思考に靄がかかってくる。
コンラートがまた唇を合わせてきて、同じようにかみ砕いたチョコレートを飲み込まされた。
腰に回された手にグッと力が入り、キスが深さを増していく。
そうやって、何度も何度もコンラートが咀嚼したものを口移しで注ぎ込まれ、甘いチョコレートを舌で分け合う。その行為が、酷く淫らなものに思えてきて、継太は羞恥に身体を震わせながらコンラートにしがみついた。
長い長いキスの後で、コンラートがようやく継太を離す。
継太の口の端についたチョコレートをぺろりとなめ取ってから、コンラートは笑みを浮かべた。
「普段の初心なお前も可愛いが、酔って大胆になったお前もたまには見たい」
至近距離で目を合わせて囁いたコンラートが、継太のパジャマのボタンを外し、中に手を忍び込ませてくる。
胸の飾りをやんわりと刺激され、継太はアルコールで蕩けた眼差しをコンラートに向けた。
早くも、触れられていない下肢に熱がたまっていくのが分かる。
身体が疼いて、今すぐにでも、抱き合いたいと思った。
継太は両手でコンラートの首筋にしがみつくと、無意識に、気持ちのいい場所に手が当たるように身体を擦りつけた。
「……あっ、んっ、もっと、触って」
素直にねだりながら、頭のどこかで、明日はきっとまた、恥ずかしさにのたうち回る羽目になるかもしれない、と思う。
(……でも、それでコンラート様が喜ぶのなら、まあいいか……)
ぼんやりとそんなことを考えながら、継太はコンラートの腕に身を任せた。
(おわり)
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(2016/1/10)